真一がフィリピン・マニラに赴任して、ネグロス島でアメリカ軍に投降し、色々な島の捕虜収容所を転々とし名古屋港へ帰還するまで、どこでどの様な活動をしていたのか、彼の残した記述を基に地図上にまとめました。
真一のフィリピン移動マップ
●ステージ1
ブタノール生産・指導活動 移動マップ
P36~49(第1章:漂浪する椰子の実)
↓
●ステージ2
ネグロス島での酒精生産活動マップ
P53~93(第1章:漂浪する椰子の実)
↓
●ステージ3
ネグロス島のジャングルの移動マップ
P95~182(第2章:密林の彷徨)
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●ステージ4
捕虜収容所の移動マップ
P183~367(第3章:虜人日記)
ブタノール生産・指導活動 移動マップ
P36~49(第1章:漂浪する椰子の実)
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●ステージ2
ネグロス島での酒精生産活動マップ
P53~93(第1章:漂浪する椰子の実)
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●ステージ3
ネグロス島のジャングルの移動マップ
P95~182(第2章:密林の彷徨)
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●ステージ4
捕虜収容所の移動マップ
P183~367(第3章:虜人日記)
【ステージ1】 ブタノール生産・指導活動 移動マップ
■期間:1944年8月23日~9月30日
■参考ページ:36~49ページ(虜人日記・第1章「漂浪する椰子の実」)
真一はルソン島マニラに赴任(1944年3月2日)以来、予定されていたルソンでの活動は戦況の悪化と共に打ち切りとなりました。しかし、決戦間近のレイテ島からの要請で、8月23日にマニラを発ちセブ島、ネグロス島にも立寄り生産指導に行きました。米空軍の出撃の合間をかいくぐり、船と飛行機でフラフラとさまよい、9月30日にマニラに戻れた事が奇跡の40日間でした。
【ステージ2】ネグロス島での酒精生産活動マップ
■期間:1944年11月3日~1945年3月29日
■ページ参考:53~93ページ(虜人日記・第1章「漂浪する椰子の実」)
ネグロス島はフィリピンにおける日本軍最期の航空要塞となっていきました。ブタノール唯一の生産拠点を託された真一は、空爆や銃撃、ゲリラ攻撃にさらされながら、命懸けで島内の工場を移動しながら酒精生産に邁進しました。そして米軍の上陸と共にジャングルへと逃げ込むまでの5ヶ月間。
【ステージ3】 ネグロス島のジャングルの移動マップ
■期間:1945年3月30日~9月1日
■参考ページ:95~182ページ(虜人日記・第2章「密林の彷徨」)
ネグロス島で入山して以来、山の中を爆撃を受けながら命からがら逃げ惑い投降するまでの活動マップ