伝えずにはいられない
生きて再び会えるかどうか分からない現実に巻きこまれ、愛する家族と引き離された者が、伝えずにはいられない思いを想像できますか?
どんなに遠く離れていてもインターネットで自由につながれ、平和が当たり前な時代には考え難いことです。
戦地に行く前の、幸せな家族写真
戦地に送られた何百万人もの兵たちと、その留守家族はどのように心を伝え合ったのでしょう? 交信手段がかなり限られていたのは確かです。そうした中で真一は頻繁に家族に手紙を書き送りました。民間人とはいえ上級の軍属でしたから、軍務で日本へ飛行往来する知人に手紙を託すなど、色々工夫もこらしました。
戦地に着いてから交信不可能になるまでの半年にわたる手紙です。この間、急激に敗色が濃くなったのは、戦地も日本も同じです。真一は自分の状況だけでなく、妻側の状況にも心を砕いています。戦地と疎開先、二つの舞台で、危機に向かう様子が見えてきます。
フィリピンから妻に宛てた手紙
1944年3月5日発送分
手紙は真一から由紀子へのあくまでプライベートなものです。今から15年程前、由紀子の没後初めて遺族は目を通し、虜人日記のストーリーが立体的に見えて来ることに気づきました。
東京の実家も、妻由紀子と子供達が疎開した沼津でも、家財は全て焼失しましたが、家族達と手紙は生き残りました。必死で守った由紀子の姿が浮かびます。
虜人日記博物館に興味を持ち、応援してくださる方々には、虜人日記の舞台裏の一端を知っていていただきたく思います。
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