■期間:1944年11月3日~1945年3月29日
■ページ参考:53~93ページ(虜人日記・第1章「漂浪する椰子の実」)
ネグロス島はフィリピンにおける日本軍最期の航空要塞となっていきました。ブタノール唯一の生産拠点を託された真一は、空爆や銃撃、ゲリラ攻撃にさらされながら、命懸けで島内の工場を移動しながら酒精生産に邁進しました。そして米軍の上陸と共にジャングルへと逃げ込むまでの5ヶ月間。
【詳細地図】
【指導・育成内容】
■バコロドを拠点として各酒精工場を指導
・ロペス工場
・マナプラ工場
・タリサイ工場
・ビナルバカン工場
■ゲリラ、空爆の危険地帯を泊まり、通いで指導育成
■各工場は空爆で破壊されるなか、立て直し策を提案し実現
(第1次対策)
1) 兵力の酒精製造投入
2) 兵力で糖蜜を各工場へ運搬
3) 薪を兵力で収集
・ポンテペトラ糖蜜タンク ➡ ゲリラ襲撃
・燃料班編成(11/25)
(第2次対策)※空爆対策
ロペス、タリサイ、ビナルバガン壊滅し、残るはマナプラ工場のみ
1) マナプラの蒸留器一つをビクトリヤスへ
2) ビナルバガンの蒸留器をバコロドへ
3) タリサイの蒸留器一つをラカロタへ
【移動日程】
①1944年.11/3 ネグロスへ酒精大増産大命
9/12 空襲以来各工場生産急激に悪化
問題山積みで各工場泊まり込み指導
②シライからバコロド(生活拠点)へ移動
③11/2のポンテペトラ糖蜜タンクゲリラ襲撃事件の現地調査(米糖コプラミール代用)
④11/5 コンソリ大空襲(各地被害)
⑤12/6 レイテ総攻撃(大編隊終結)
⑥412/20 邦人45歳以下全員召集
⑦ルソン島に敵上陸
⑧11/25燃料班編成し酒精増産図る
⑨12/15ロペス工場コンソリ爆撃で大破
⑩12/22コンソリ爆撃各地実態調査(爆撃で何度も命拾い)
⑪12/25ロペス工場ボイラー大破(機関車3台でボイラー代用)
⑫1/1 タリサイ 正月用ウイスキー製造、配給
⑬1月 昼間の自動車運行禁止(夜間のみ)
毎夕バコロド~タクロバン間徒歩で通勤
⑭1/17タリサイ工場大爆破 2時間で14回爆撃(命拾い)・・・復旧に一か月)
⑮1/17 空爆対策(各工場の蒸留器をビクトリヤス、バコロド、ラコロタに一部移設)
⑯1月 タリサイへの鉄道での砂糖運搬ゲリラ親分と交渉8(バコロド間)
⑰2月 ロッキード盛んにビラ撒く
⑱2月初 マナプラ薪満載機関車略奪
⑲2月レイテ島より友軍漂流兵着(カデス)
レイテ真相を知り山入り覚悟、準備急ぐ
⑳2月山岳戦方針決定(山籠り)
ギンバラオに食糧、弾薬、兵器等集める
㉑2月バコロドからファブリカへ危険を冒し指導 (三八銃で対応)
㉒3/10 ビクトリヤスに新酒精工場建設
(マナプラより蒸留器移設)
㉓3/21賞詞頂く(ネグロス酒精生産功績)
㉔3/19 パナイ島(イロイロ)に敵上陸
㉕3/30 米軍ネグロス上陸
㉖3/30 ビクトリヤス工場 自ら爆破し入山