■期間:1944年8月23日~9月30日
■参考ページ:36~49ページ(虜人日記・第1章「漂浪する椰子の実」)
真一はルソン島マニラに赴任(1944年3月2日)以来、予定されていたルソンでの活動は戦況の悪化と共に打ち切りとなりました。しかし、決戦間近のレイテ島からの要請で、8月23日にマニラを発ちセブ島、ネグロス島にも立寄り生産指導に行きました。米空軍の出撃の合間をかいくぐり、船と飛行機でフラフラとさまよい、9月30日にマニラに戻れた事が奇跡の40日間でした。
10月20日から始まる「レイテ島の戦い」による米軍上陸の前から各島において海上は爆撃、空爆、海上ゲリラ出没、友軍機、船多数沈没が起こっていました。
① 出発日:昭和19年(1944年)8月23日 【移動手段:飛行機(キノ12)】
(出発)ルソン島マニラ ⇒ (到着)ネグロス島バコロド
真一が移動に利用した飛行機
② 出発日:8月30日 【移動手段:飛行機(ダグラス機)】
(出発)ネグロス島バコロド ⇒ (到着)セブ島セブ
※セブ島、空襲で大半の友軍機が焼失
③ 出発日:9月9日 【移動手段:船(機帆船)】
(出発)セブ島セブ ⇒ (到着)レイテ島オルモック
米軍からの爆撃を避ける為、草木で船をカモフラージュ
④ 出発日:9月23日【移動手段:船(日吉丸)】
(出発)レイテ島オルモック ⇒ (到着)セブ島セブ
※日吉丸、セブ島に到着後に沈没(真一は命拾いする)
⑤ 出発日:9月29日【移動手段:船(爆撃輸送船)】
(出発)セブ島セブ ⇒ (到着)パナイ島イロイロ
※イロイロ、空爆で街焼失
⑥ 9/30 【移動手段:船】
(出発)パナイ島イロイロ ⇒ (到着)ネグロス島バコロド
⑦ 9/30 【移動手段:飛行機(キノ12)】
(出発)ネグロス島バコロド ⇒ (到着)ルソン島マニラ