■期間:1945年9月1日~1946年12月11日
■参考ページ:183~367ページ(虜人日記・第3章「虜人日記」)
真一は、ネグロス島で米軍に投降しネグロス島のサンカルロス収容所に送られ、その後、レイテ島、ルソン島と収容所を移動した後に日本へ帰国する。
【上陸用艦船(約200屯)】
サンカルロスからレイテ島タクロバンの海岸迄
こんな上陸用の艦艇で輸送された
いきなりこの大きな船が砂浜に直接着き、上陸できるのには驚いた。
こうして戦車も自動車もこの口からどんどん吐き出されるのだからかなわない。
「実見録 雅楽多帳」より(昭和21年3月23日)
①ネグロス島(米軍への投降~収容所への収監)
サンカルロス製糖工場広場 (1945年9月1日)
サンカルロス収容所 (1945年9月)
飢餓にあえぐ(栄養失調)
②レイテ島へ移動
タクロバン収容所へ到着(1945年10月19日)
タクロバン第3収容所へ収容(10月20日)
タクロバン第2ストッケードAへ収容(10月21日)
タクロバン第2ストッケードBへ収容(11月5日)
タクロバン第2ストッケードAへ収容(11月13日)
タクロバン第4ストッケードへ収容(12月15日)
※帰国者用収容所だったがぬか喜び
タクロバン第1ストッケード(12月25日)
※戦争犯罪用収容所に移る
タクロバン出港(1946年3月26日)
※ルソン島への移動を命じられる
③ルソン島へ移動
マニラ カランバン第1収容所(船待キャンプ)
マニラ カランバン第2収容所(船待キャンプ)
マニラ近郊 オードネル第一二労働キャンプ(1946年4月15日)
オードネル第一二労働キャンプの外観
外業の様子
マニラ カランバンへ(帰国のため移動)(10月28日)
マニラ カランバン出港 ※帰国(12月1日)
④日本への帰還
名古屋港 着(1946年12月8日)
静岡県 沼津市 千本の家に帰宅(疎開先)(12月11日)