猿に水をかけて
エイソウ入り
〇〇大尉
プレートの文言:差入ゲンキン:
カランバン第2収容所
PW体操
カランバン収容所
残飯、空缶あさり
風景
残飯もらい
ルソンの下駄売り
ルソンの空缶なめ
レイテの膨張缶拾い
※ドラム缶(左)の文言「空缶入」、ドラム缶(右)の文言「残飯入」
【ルソン島 第12労働キャンプの鳥瞰図】
こんなキャンプが45程このストッケード内にあり
人員数 約500名
一幕舎に14名が定員
各幕舎の入り口に一本のバナナあり
この柵の外に出ると気持ち良い
隣は米さんの兵営 バスケット、バレーのコートあり
米軍野球場
ガード
ラジオ、蓄音機等を持ち込みのんびりと 監視? 読書? 昼寝? 夜寝?
水浴及び洗濯、洗面所
便所
理髪所(理髪師3名)
第14幕舎・・・我々の住い
発電所
炊事
PWが心のままに使えるのはこのシャワーの水と石鹸だけ也。
レイテでもカランバンでも水に不自由したが、この第12労働キャンプは良い水が沢山出る。
一日の疲れと汗と塵を洗じてやっと自分の体になる。
この水浴場では10人に1人半位の割でカラパインや迫等の弾創を受けているものあり。
南十字星座
サザンクロス(散々苦労す)
この星を初めて見たのは昭和14年7月台東で防空演習の晩、かすかに見た。
南方へ行けば、この星が良く見られると聞いた。
そこであこがれに似たものを持っていたが。
ネグロスの山中生活の時はカンラオン山の上にこの星が輝いていた。
9月1日の投降後はストッケードのバクド線の上に毎夜現れた。
この星の見えない国に早く帰りたいものだ。サザンクロス(散々苦労す)とは良く付けた名だ。
外業 大工の現場
「一服やれよ」
「日向で休む馬鹿もいる」
ストッケード一の怪力関取日本海が薄いチーズをそれに釣り合った小さなパンに一枚宛て気の毒そうに配給する図。
これが国際法で決まったPWの食物とか、増配を所長に嘆願すれば「世界的食糧飢饉だ。PWだけが腹が減るのではない。」と言う嘘か誠かか知らねども、腹の減るのはたまらない。
●6月23日 日曜日の献立
朝:ジャガイモ(乾燥)と肉のドロンコをカンテンカップに7分
昼:グリンピースにソーセージ2本 カンテンカップに3分
晩:ビスケット8枚 玉子とヨーセージの煮込みサジに一杯
●6月24日 月曜日の献立
朝:右図の如きパン一つ、チーズ一枚
昼:豆汁 カンテンカップに4分の1
晩:ビスケット6枚、キャベツ、タンコン汁カップに一杯
【夜間作業で小野田セメントを運ぶ図】
日本軍用の小野田セメントを、こうして夜間作業で大型自動貨車から降ろされる。
一台に50キロ入り袋、250袋も積んであるので相当の量だ。このようなのが続いて2、3台も来ようものならpwもアゴを出す。又、セメントの埃にも閉口。
米さん曰く、「ジャパン セメント ノーグー」
理由は「クラッキングが入りやすいと」
【外業 大工の現場】
「よかよか」
水準 「もう少し上げて」
「オイ福、この穴の位置、昨日みたいに間違いないだろうな」
「ワシヤ、知らん」
【外業者集合】
朝7時からこうしてPWの一日が始まる。
今日も一日頭からカンカン照りつけられると思うといやになる。
「ラスコラスコ ハバハバ」
「ゲンスイの大工さん、早く出てください」
「二小隊の大工さん、五列に並んでください」
「暑いのにご苦労さんです」
「今週は糧秣が少ないぞ」
【日時計】
9時と3時に実体と日陰の長さが等しくなる。これにより外業先で「十一時半」、「4時半」の帰幕時間の見当をつける。
「まだ帰る時間にならないか? 腹時計だと大分廻ったが」
「あと、30分だ! 働け働け」
「福、帰る事ばかり気にするんじゃない」
7月7日(月)
慰霊祭
PWの制服を着用、一同久々に整列
皆の横顔を見ていると、いつの間にかPWの服が昔の日本軍の軍服に変ってくる様な幻想にとらわれる。
【医務室 治療風景】
毎朝、「診断患者集合」と医務室から大声で叫ぶが、これを幕舎で聞くと「死んだ患者集合」と聞こえる「死んだ患者が診てもらいに行けるかい」と言うのが我々の主張。
「下痢をしてから後、脊中が痛んでいけません。」
「肋膜でもやったことあるかね。」
「別に薬はないから、しばらく練兵休でもしなさい」とでも言ってくれるのは良い方也
「一日、3回位来ないと治りませんよ。」
「すみませんが尻のところにタムシができていませんか?」
【日曜日の幕舎内】
花札、碁、寝そべって歌(米山さんから・・)それぞれまちまちやっている図
絵具がないので医務室から薬をもらってきて色を出す。
アデブリンで黄、赤チンで赤というように。
菊皿代用は机の板、筆はマッチの軸木に脱脂綿を巻き付けたもので代用。
それでもどうやら絵ができる。
【ブルドーザーの威力に感嘆する図】
土を一台で2立坪位自分でかき上げ、運搬して目的の所に降ろす。これも便利なものだ。
道路工事など訳がない。
「俺はもういやになったよ」
「カブト虫のお化けみたいブルドーザーという機械は大したものだ」
「我々はエンピと十字とモッコで飛行場や道路を作ったが、千人かかってやるところを、これ一台あれば一日位か?半日か? 大したものだ」
【雨はコンコール泣かせ】
雨が降れば大工もキャーネルも休みなのが、コンコール40名口だけは日曜も夜も、昼の照ろうが降ろうがおかまいなく仕事をやらされる。
材料置場は泥田の如くぬかり、この中を材木をかついで雨の中を運搬するのは余り良い仕事ではない。
雨降れば大工喜びコンコールに泣く。
日本に帰国の際、アメリカ軍が発行した証明書
【ドキュメントの和訳文】
捕虜収容所番号#2
ルソン戦争捕虜キャンプ#1
証明書
発行日:1946年11月6日
これは、これらの本がコマツ・シンイチ(捕虜番号51-J-43984)の所有物であることを証明する。
ノートブック
No.1~No.8(日記)
全8冊
OK to keep (所持を許可する)
ローレン D. プラット
2nd Lt. Inf.
捕虜収容所・司令官