【ステージ3】 ネグロス島のジャングルの移動マップ
■期間:1945年3月30日~9月1日
■参考ページ:95~182ページ(虜人日記・第2章「密林の彷徨」)
ネグロス島で入山して以来、山の中を爆撃を受けながら命からがら逃げ惑い投降するまでの活動マップ
①S20年3/30 PM10:00
ビクトリアス工場発
マルコ川橋梁→タンザ飛行場裏
→東海道→鈴ヶ森
②トラックで行けるところまで行く
③3/31 小田原到着(自動車便乗後、
徒歩で小田原へ)
④3/31 PM2:00
羽黒台 坪井隊陣地到着
深いジャングルに覆われている
⑤ 3/31 PM2:00
三峰台に集積してある糧秣運搬
⑥4/2 家3軒建てる
⑦ギンバラオ方面空軍援護下戦車、
ブルドーザーでジャングル切り開く
⑧高原での戦闘は20日位で終了
ジャングルに追い込まれ、あとは
逃げ隠れに専念
⑨食料野草の調査開始 川蟹、昆虫、
ヘビ、トカゲ何でも食す
⑩食用野草講習会実施
⑪コンソリ峠まで野草探し
⑫硫黄谷発見
・・カイヨウ、皮膚病薬つくり
⑬糧秣運搬命懸けとなる
仮病をつかい逃げる者あり
⑭切込み隊 帰らぬ者多発
⑮友軍全く手を出せず
⑯ドイツ無条件降伏の報流れる
⑰ギンバラオ崩壊し敵は近くまで来る
羽黒台死守命令発令
⑱軍医衛生兵の代用
⑲4/30 羽黒台退却(雨期)
天神山の無名稜線へ
糧秣を羽黒台から運搬
⑳5/8 笠置山へ
農業関係技術者を連れ兵団参謀部
勤務に。ここは危険な場所
酒精関係資料全て燃やす
途中シコロスキーの空襲
㉑現地自活研究指導班編成
栄養失調、脚気患者続出
㉒現地自活建設隊誕生
芋栽培
㉓5/21 地獄谷に退却
無名稜線に迫攻撃で退却
地獄谷への途上は迫攻撃集中
神頼み 雷台敵に占領(3日後)
㉔5/24 地獄谷到着
㉕5/25マンダラガン縦断路から大和盆地へ(農業予定地)
㉖4/24-27 大和盆地を農業地区とする
㉗芋蔓切込み隊編成
ここに芋を植えるため切込み隊編成し
10日で芋蔓持ち帰る
㉘5/30小屋作りと乾燥糧秣製造
(無縁かまどづくり)
㉙3/31地獄谷より大和盆地に糧秣運搬
㉚蟹釣り
㉛行倒れ
㉜追いはぎ
㉝河原の生活
5/30以来河原の生活
㉞蛙とり、電気イモ、ヘゴトロ、岩燕
㉟帰らぬ兵・・谷川に多くの行倒れ
㊱ジャングルに敵の放送
㊲人肉を食べん
㊳地獄谷 温泉の中白骨累々 地獄絵
㊴マラリヤ ネグロスは少なく恵まれて
いた
㊵御嶽新道 大和盆地から御嶽経由で
バコへ、サンカルロスへの道作る
㊶6/15 大和盆地からボガン地区へ
食糧なくなり、ボガンの芋畑へ移動
(地図もなく途中引き返す・・食糧もなく
最悪の状態)
㊷6/21 希望盆地到着
ボガンを目指したが道がわからず、
図らずも希望団地につく
バゴ川上流、大森林を切り倒し米軍が
畑作る。大食料地帯発見
日当たりも良く、日がな虱取り
塩が不足
㊸希望盆地の食糧食い尽くす
㊹7/18 希望盆地の下流に移動
マイス(玉葱)等豊富
㊺7/21 芋を掘った後に必ず芋等植える
芋の食べ方指導講習
㊻食生活 甘藷の親子丼、ドンコ、エビ、
カニ、オタマジャクシ等大量採取
㊼7/8 東大文学部学徒出陣の
下士官救助
㊽7/25 空襲
6月以来の久々の空襲
カタマリン、ボガン、シライ地区上空
B24、ロッキード、シコロスキー爆撃
8月に入り一層激化(マニラとの輸送
機往復頻繁に通過)
㊾8/13,14,15 頭上爆撃
㊿8/18 終戦情報 兵団より正式伝達
51 8/20 サンカルロスへ向かう
明野盆地へ
52 8/21 一夜盆地へ
53 8/25 坪井大尉に再開
54 8/25 軍使 投降日程決定
55 9/1 投降
捕虜収容所へ
場所 標高 ⅿ
笠置山 903
羽黒台 1000
コンソリ峠 1200
雷台 1580
天神山 1760
地獄谷 1690
大和盆地 1200と1420の間の盆地
マンダラガン山 1880
御嶽山 1520
希望盆地 1000と1200の間の盆地