虜人日記は、真一がアメリカ軍の捕虜になった後に捕虜収容所の中で記されました。その日記のベースになったのが、彼が戦地で携帯していた軍隊手帳です。その手帳には、移動スケジュール、ブタノール工場の技術的な事、戦死した友への詩など様々な内容が含まれます。
●真一が日本からフィリピンへ赴任するまでの日程
’2月12日 東京発 → 沼津泊
13日 沼津(13:20) → 岐阜(18:30)
14日 各務原 第5飛行隊に連絡
15日 出発せず待機
↓
29日 10:00 各務原出発(比島の隊長 山本少佐)
12:00 新田原着
12:30 新田原発
15:30 那覇着 一泊
’3月1日 12:30 那覇発
14:30 クラグ着
15:00 クラグ発
15:30 クラグ着
●ブタノール工場の設備に関するメモ
真一は、ガソリンに替わる代替燃料のブタノールを精製する工場の責任者の立場であった。
●ブタノールの原料の収穫情報
椰子山
・1ヘクタール当り椰子150本
・1本の椰子から年40ケ
・ヤシの実 5000個からコブラ1屯
・コプラから油60%
・コプラミル 50%
・ヤシ1ケ 1000~1400g
外皮 460g
外殻 225g
コプラ 259g
水 150g
・枯葉 1ヘクタール当り 1年1屯
・実生後 7~8年でなりだし
30~70年が良し
開花より10か月で収穫
●フィリピンの密林で戦死した戦友への詩
山の戦友よ
共に死のうと誓ったに
お前一人を残したまんま
おめおめ下る意気地なし
大命なんだ許せよと
心の中で詫びている
俺も男だあしたから
みことのままによい身と思へ
刀折れたがはだか身で
国のみはしら打ち建てて
お前の約束果してみせる
あの時頼んだ友の毛は
お前のたてた天晴れの
手柄をほこる感情?と
お守り袋と一緒に入れて
お国の母子と????
それじゃー下りるぞさようなら
淋しかろうが??の間
マンダラガンの森中で
俺が迎えに来る日まで
必ず待っておるんだぞ