サンプル作品

真一は「今度の戦争を体験して、人間の本性を見極めたような気がする」と書いている。次々に起こる窮極の異常事態の中で人は本性をさらけ出すが、真一はそれらを素直な目で、平常心を失わずに、あるがままに記している。異常事態がニュートラルな視点で描写されているため、読む者が「自分だったらどうするか?」を静かに自問する契機になっている。

●大和盆地より御嶽山への登り口の絶壁
アメリカ軍がネグロス島に上陸し、日本軍は武器も食料の準備がないまま、山岳ジャングルに逃げ込み数ヶ月が経ち、すでに壊滅寸前にあった。更に山奥へと逃げ込むための登り口にある絶壁。

(注: 当時、フィリピンには、正式なスペイン語等の地名があった中、日本軍は日本語の地名を付けていた。)

●カランバン街道の子供
敗戦後、真一はネグロス島からレイテ島、更にルソン島へと収容所を転々と移動させられる。マニラ港からカランバン収容所へと向かう大型トラックの荷台に山積みされた日本人捕虜達は、沿道のフィリピンの人々から罵声を浴びせられる。統治時代に日本軍が何をしたのかを如実に物語っている。

(虜人日記より引用)
「バカ野郎」「ドロボー」「コラー」「このヤロー」「人殺し」「イカオパッチョン*」等々、憎悪に満ちた表情で罵り、首に切るまねをしたり、石を投げ、木切れがとんでくる。パチンコさえ打ってくる。隣の人の頭に石が当たり、血が出た。レイテも民情が悪いと思ったが、ここはそれ以上だ。

(* カタログ語で、「イカオ(おまえ)、パッチョン(殺す)の意。「こんちくちょう、ぶっ殺してやる」に近い言葉。」)
pic2<参考資料:虜人日記・ちくま学芸文庫 「マニラ感想 P268~270」「比人が日本軍を嫌うわけ P286~287」「比島における日本軍 P288」>

●米兵 PW(戦争捕虜)負傷兵にコーヒーを与える図
pic3

昭和20年9月1日(1945年9月1日)

ネグロス島サンカルロスに投降途中、友軍 片腕、片目を失へる兵あり。

誰一人優しき言葉かける者なきに、御迎えの米兵一人自らの水筒の中のコーヒーを傷兵の水筒に移し、煙草に火をつけて与えたり。

久し振りに「人情(しんせつ)」というものを見せられた心地す。

●1945年9月1日 投降の際のアメリカ兵との会話
山岳ジャングルへ逃げ込んで約半年、ぎりぎりで生き残る。敗戦を知り10日がかりで山を下り、サンカルロスの収容所に収容される途中の行進。

<参考資料:虜人日記・ちくま学芸文庫 「終戦 P168~170」「捕虜収容所 P179~180」>

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