映画化プロジェクト

movie image【なぜ「虜人日記」の映画化を目指す?】
虜人日記が映画になったら、
究極の非常事態の中で「自分だったら、どうするか?」
What would you do, if you put in an ultimate state of emergency?
この目をつぶって通り過ぎたい、自分にとっての真実を、
年齢、国籍、思想を問わず、誰でもがそれを経験し易くなります。
書籍で読むよりも はるかに楽に。

しかし映画だから、面白くなければならなりません。
「九死に一生」奇跡的な命拾いが連続のドキュメント。
手に汗握る、スリル満点の冒険物語が面白い映画にならないはずありません。
これが現地でその時点で記された、生中継に近い記録なのです。
後年平和な時代になってから、後付けされた物語なのではなく、
貴重な歴史資料としての重みもあります。

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主人公の真一は兵隊ではなく、
32歳ながら燃料アルコール製造の特別な技術者でした。
愛する妻と子供たちに心を残し、戦争に巻き込まれて行く普通の人間です。

70年前にフィリピンの戦地で記録され、
40年前、真一の没後、書籍「虜人日記」として公開されました。
そして今なお、文庫本にもなり広く読み継がれています。
毎日出版文化賞を受け、幅広い分野の賢者から、
続けて高い評価を受けています。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、あからさまになる人間の本性が、
ニュートラルな視点で淡々と描かれており、
どんな深刻な事態でもユーモアと皮肉が消えることがありません。

良い映画には面白いだけでなく、心に残る感動が不可欠です。
物を書く事自体が不可能な状態にあって「真一は何故この記録を残したのか?」
真一の子孫(子と孫)にとって、
虜人日記博物館を創る基本的な問いであります。

その答えをこの映画でも、はっきりと表現して行く覚悟です。

sample●大和盆地より御嶽山への登り口の絶壁
アメリカ軍がネグロス島に上陸し、日本軍は武器も食料の準備がないまま、山岳ジャングルに逃げ込み数ヶ月が経ち、すでに壊滅寸前にあった。更に山奥へと逃げ込むための登り口にある絶壁。

(注: 当時、フィリピンには、正式なスペイン語等の地名があった中、日本軍は日本語の地名を付けていた。)

●投降の際の真一とアメリカ兵との会話
1945年9月1日 フィリピン・ネグロス島にて投降の際の真一とアメリカ兵との会話。相手は22歳でオクスフォード大学の学生だった兵士。

日本語版

英語版
[The Surrender: September 1, 1945]

【映画化への道筋】
私達は映画を創る知識も技術も資金もコネも、持ってはいません。
虜人日記を映画にするという意思と情熱と決意があるだけです。

それを基に、虜人日記の価値に共鳴し、映画化に興味を持ち、ご支援を下さる方たちのネットワークを、まず創り出して行くことが私達の役割です。
そのネットワークの力によって映画を実現させて行きます。

私達は勇気を持って、その第一歩をここに踏み出しました。
あなたのお力を是非お貸し下さい。
ご意見など、お聞かせいただきければ嬉しいです。

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